こんにちは、のび汰です。
連続コラム、夫婦で旅行に来ていますシリーズの第2話にして最終話です。
昨日の記事ではあえて触れませんでしたが、のび汰の妻といえば、しずかちゃん、しずかちゃんですよね〜
はい。
震災遺構の小学校へ行く
今日は、いわき市からぐっと足をのばして浪江町へ。
震災遺構 請戸小学校に行ってきました。
【公式】震災遺構・浪江町立請戸小学校
震災遺構(しんさいいこう)とは、震災が原因で倒壊した建物などであるが、次世代に向けて震災が起きたという記憶や教訓のために、取り壊さないで保存しておくというものである。
3人の子供連れだとついつい遊園地的な楽しさが保証されたような施設に行ってしまうので、子供連れでないこういう時こそ、大人だけでゆっくり味わえる場所に行ってみようと。
たまたま福島県に用があっていわき市に泊まっているので、車で移動できるこの請戸小学校にいくことにしました。
請戸小学校の避難
ここの小学校は海から300mほどに立地していて、東日本大震災の津波によって2階まで津波が襲ってきましたが、津波が襲来するよりも前に遠くの山に避難していて、児童(82名)・教員全員が助かるという奇跡的な出来事の舞台でもあります。
この遺構の展示には、津波被害のすさまじさはもちろん、校内でどのように避難を進めたか、何時何分になにをしていたか克明に記録されていました。
津波に飲まれた建物の被害のすごさを知ることができるのはもちろんなんですが、もっとも驚くのは当時の先生たちの的確な判断と行動力。
近くに高台がなく、なんなら校舎の2階があたり1-2km圏内では1番高い場所なんじゃないかというような場所で、よく児童全員を遠くの山まで避難させる判断ができたなぁと。
この頃、人の住むところまで押し寄せる津波を想像できた人がどれほどいただろうか。
僕は地震津波を研究しているわけではないけれど、なんとなく津波警報・注意報が発表されても港に海面がひたるくらいがほとんどで、甚大な被害が出た津波って、1993年の奥尻島の津波被害くらいじゃないかなと思います。
実際、このあたりの住民の中には「請戸地域には津波は来ない」と言って避難しなかった人もいたとか。
そういう状況下で直線距離でも2kmはあるであろう先の山まで、児童たちを避難させた先生たちの判断はすごい。
自分が先生だったらどうしたかなーとか、考えながら校内の様子や展示物を見てまわりました。
「そんなに被害ないでしょうし、2階に避難しておきましょう」
とか言っちゃってたんだろうなぁきっと。
そっちの方が楽だから。
児童全員を連れて2km以上も歩くなんてぜったいムリだし、そこまでする意味もないし、とか。
思い込みによる合理的っぽい(でも根拠のない)判断をしてたんだろうなー。
自分が楽したい理由を合理的っぽいもので隠してはいけないなと。
これが今回の震災遺構からの学び。
コンサルまで127日
コンサルタントとは、クライアントに判断させるための材料を提供する仕事とかじゃなかったっけな。よくわからないけど。
それは戦略コンサルとかそういう高尚な業種だけなのかな。
ITコンサルではPMOと言われるようなプロジェクトを推進させる仕事がほとんどだとも聞く。
でもどんな業務にどんなシステムをどのように導入するかという提案をするパターンもあるんじゃなかったっけな、たしか。
"判断" は重い。
請戸小学校のように人の命に関わるような判断はそうそうないにしても、社命をかけたプロジェクトみたいのはあるかもしれないし。
「今、この場所で地震が起きたら」いつか必ずくる災害に必要なこと -元教員- - 請戸小学校
この先生のインタビューからもわかる通り、現実に起こることは想定と違うことがたくさんある。そんな状況下でも判断を下さないと物事は進まない。
うーん、この時の先生たちのように判断を促すための行動ができるかな。
なかなか身の引き締まる旅でした。